専照寺だより

西・東

「どうして本願寺は西と東があるのですか?」

と、お参り先や知人友人などに聞かれることがあります。確かに教義も変わらず、分派していながらも本山がすぐ近くに並んでいることで、不思議に感じられるのは無理もないことです。

戦国時代の浄土真宗は一向宗とも呼ばれ、織田信長と長い間敵対関係にあったことは有名な話です。この頃の本願寺は戦力的にも経済的にも、強力な戦国大名と同等以上の一大勢力でありましたが、最終的には信長に敗れることとなりますが、その際のご門主であった第11代顕如上人の2人のご子息のうち、准如さまは顕如上人と共に和睦派となりましたが、教如さまは抗戦派となり袂を分かつことになります。

その後しばらくして世も変わり、豊臣秀吉により准如上人は今の西本願寺を、徳川家康により教如上人は東本願寺を、それぞれあてがわれ現代に至ります。

簡単な解説ではありますが、以上が本願寺が東西に分かれたことの顛末です。

戦国時代の本願寺事情はたくさんの有名武将とも関わりがありますので、歴史好きな方は是非詳しく調べてみてください。

 

 

 

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